現代日本と宗教

日本における仏教

飛鳥時代 仏教伝来
中国・朝鮮を経て、「空」の思想で広く衆生の救済を説く「大乗仏教」が日本に入ってきました。日本に仏教が正式に伝えられたのは、6世紀の欽明(きんめい)天皇の時代です。百済の聖明王(せいめいおう)から、仏像や経典が贈られ、蘇我氏や聖徳太子の尽力もあり豪族を中心に仏教が普及しました。

奈良時代
奈良時代には今でいう宗教的な仏教ではなく、学問としての仏教が栄えました。聖武天皇が仏教による治世を祈願し国家政策の一環として寺院の建立に注力したこともあり、寺院や僧侶の影響力が強くなった時代でもあります。遣唐使が持ち帰った唐の宗教学から、「南都六宗」と呼ばれる学派が生まれ、一般の人々の信仰とは別に学問として盛んに学ばれました。この時期の研究は日本の仏教の発展に大きな影響を与えました。
また同時代、貴族の学問としての仏教ではなく、民衆に仏教が知られる最初のきっかけとなったのが行基です。このころ、僧侶の活動は国の規定に定められていました。そのため一般の人々に自由に布教することは許されておらず、行基は国の許可を受けずに私的に出家した「私度僧」で、人々のために仏教の教えを説き、 各地に橋を設けるなど布教と社会奉仕活動に従事しました。

平安時代
平安時代から、日本における仏教は密教が中心となりました。「最澄」と「空海」が唐から持ち帰りそれぞれの思想を展開した、天台宗系の台密(たいみつ)と真言宗系の東密(とうみつ)の2つがあります。密教には今生きている段階で成仏できるという即身成仏(そくしんんじょうぶつ)という思想があり、日本では、一般の人にも仏となれる性質があるという仏性論と相まってさらに強調されました。 院政期には、すでに衆生は仏であるという本覚思想(ほんがくしそう)へと発展します。平安時代の仏教は、現世において得られる利益を求める貴族中心の仏教でした。

平安末期から鎌倉時代へ
平安時代中頃から鎌倉時代初めにかけては飢饉や疫病が多発し、また、朝廷の力が弱まり武士が活躍する世になるにつれ、度重なる戦乱も起きるようになり、社会不安が大きくなりました。それゆえ貴族の仏教から一般民衆を対象に救いを説く仏教へと変化し、このような社会不安が高まるにつれて、釈迦が入滅して二千年後に世の終わりが近づくという「末法思想」が流行し、即身成仏のような現世での成仏や救いを諦め、 来世に極楽に往生して成仏する浄土思想が普及していきました。現在日本に存在する仏教の主な宗派が成立したのはこのころです。浄土信仰を説いた法然は浄土宗、親鸞は浄土真宗を開くことになります。日蓮は天台宗から分かれ「南無妙法蓮華経」を唱える日蓮宗をひらきます。さらに、これらの念仏宗教に異を唱え、座禅による修行によって悟りを開くことを説く「禅宗」が栄西と道元によって中国から持ち帰られ、栄西は臨済宗を、道元は曹洞宗をひらきました。

まとめ
仏教は大きく2つに分かれます。古代インドの釈迦を始祖として生まれた「釈迦の仏教(原始仏教)」と、そこから派生して発展した「大乗仏教」です。日本に伝わった仏教は大乗仏教であるため、釈迦が本来説いた仏教とは異なる仏教です。さらに日本に伝わったあともさまざまな宗派が生まれ、またそれぞれが独自に発展したため、「仏教」とひとことで括るのは難しいかもしれません。日本の仏教の歴史は、そこで生まれていった宗派の歴史とともにあります。日本の仏教を探るとき、それは日本人の思想や世界観の「核」のようなものを探ることになるともいえるでしょう。

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